2006/10/24

四日市

四日市はこれまで仕事でしか行く機会がなく、騒がしい産業都市との印象が強かった。しかし今回初めて旧東海道を歩き静かな佇まいのある街道が保存されていて再発見の旅でもあった。写真は旧東海道沿いにあって広重の絵でも有名な三滝橋から遠く石油コンビナートを眺めたもの。川の水も澄んできれいだったのが印象的。
(写真撮影日:2006年10月21日)

2006/10/22

七里の渡し(桑名宿)

宮から海路7里を船で旅をすると「桑名の渡し」に着く。現在は写真に見るように護岸工事により水路が確保されているが実際に船が着く事はない。しかし昔ながらの7里を船の旅が楽しめる様に観光船を就航させる計画があって近く実現される運びと聞く。天守閣風の建物は水門を管理する事務所。(写真撮影日:2006年10月20日)

長良川河口

宮の渡しから桑名までの7里(28km)を昔の人は海路を船の旅で楽しんだ。現在は陸路を歩くしかない。宮から国道1号線をひたすら歩いた。この間、国道は木曽川・長良川・揖斐川と3つの川の河口近くを通る。写真は長良川と揖斐川の中洲にある公園から伊勢大橋を眺めたもの。すぐ近くに生態系への影響の是非をめぐり論議を呼んだ長良川河口堰がある。(写真撮影日:2006年10月20日)

ページのトップへ

2006/05/06

七里の渡し(宮宿)

古戦場で有名な桶狭間を出てしばらく行くと絞りで有名な有松の街並みに入る。ここは昔ながらの家屋や街道が比較的良く保存されており、伝統芸を伝える絞り会館もある。有松・鳴海・笠寺を過ぎまたしばらく行くと熱田神宮で名高い宮の宿に到着。宮の宿には桑名までの七里を海路渡し舟で行く「七里の渡し」址がある。周辺は埋め立てが進み、絵に描かれたような往時の渡し場の賑わいはないが、常夜灯や時の鐘の塔が復元され公園として整備されている。現在桑名までは木曽川・長良川・揖斐川の大河を越え陸路を行くことになる。(写真撮影日:2006年5月4日)

2006/05/05

桶狭間

5月晴れに誘われて久しぶりに東海道53次の旅に出る。知立を出て阿野の一里塚を過ぎ、名鉄の「前後」と言う珍しい駅から2km程行くと、桶狭間に出る。この場所は桶狭間史跡公園として整備され、今川義元が戦死したと言われる場所には霊を祭る碑(写真)が立っている。(写真撮影日:2006年5月3日)

2006/02/21

知立の松並木

八丁味噌で有名な岡崎の八帖町をで出て矢作川を渡り、しばらく行くと知立の松並木がある。これまで舞坂、御油、藤川、知立と4ヶ所の松並木を見てきたがいずれも手入れが良くいき届き、往時の面影を偲ぶことが出来る。なお八丁味噌の由来は、お城から8丁(約900m)離れた場所で作られていた事からきた由。(写真撮影日:2005年12月11日)

ページのトップへ

2006/02/15

岡崎城

岡崎城は徳川家康生誕の城である。それ故江戸時代を通じてこの城は神聖視されて来たと言うだけあって歴史と重厚な雰囲気を感じさせる。天守閣は昭和34年に復元されたもので、場内は公園として整備され、猛将本多平八郎忠勝の槍を抱えた銅像もある。(写真撮影日:2005年12月11日)

2006/02/11

山中八幡宮

三河の一向一揆で徳川家康が門徒に追われ身を隠し、一命を取りとめた鳩ヶ窟と言う洞窟のある神社である。周囲を田圃に取り囲まれた閑静な場所にある神社である。(写真撮影日:2005年12月10日)

2006/02/10

近藤勇の首塚

赤坂の宿を出て旧街道をしばらく行くと、国道1号と合流する。この近くに近藤勇の首を祀った法蔵寺がある。この寺は徳川家康ゆかりの寺として知られている。近藤勇の首塚がなぜこんなところにあるのかの疑問には、その前に立つ説明書きが答えてくれる。近藤は東京の板橋で処刑され、その首は京都で晒された。その首を新撰組の元隊士が持ち去り勇の敬慕していた和尚に埋葬を依頼したが、和尚は半年前に法蔵時に転任していたため急遽ここに運び人目をはばかって埋葬。昭和33年になって初めてこの事実が明らかになり、胸像を建て供養したとある。(写真撮影日:2005年12月10日)

ページのトップへ

2006/02/08

吉田城

豊橋公園の中に吉田城がある。立ち木に囲まれ、どこにあるのか探すのに多少時間を要した。写真の建物はいわゆる隅櫓で、復元模型で見ると四隅に隅櫓が建っており、天守閣といわれるものはなく、城内には御殿と言われる建物があるだけである。江戸時代は、長く池田輝政の居城の由。(写真撮影日:2005年11月26日)

2006/02/07

豊橋市内

豊橋市内には写真で見るような路面電車が走っている。(写真撮影日:2005年11月26日)

2006/02/06

浜名湖

快晴だが風が強く寒い、弁天橋から見る浜名湖は水も澄んでいてきれいである。周辺に障害物がないので風がまともあたる。弁天橋の下は、水の流れが速い。この辺は室町時代の地震で、陸が割れ淡水湖であった湖に海水が流れ込んだあたりらしい。この近くにはかつて渡し舟の乗り場であった「今切れの渡し」の船着場がある。浜名湖を過ぎJR新居町の駅を遠州灘方面へ左折すると、二川の宿までは延々と長い道が続く。(写真撮影日:2005年11月19日)

ページのトップへ

2006/02/05

舞坂の松並木

JR高塚の駅から歩き始める。天気晴朗なれど風強しで、快晴だが風が強い。しばらく行くと有名な舞坂の松並木に出会う。ここまで歩いて来て初めて会う整備された松並木である。約2kmに亘って写真で見るような松並木が続く。道の両側には東海道53次の宿場の道標が立てられ日本橋からの距離が標されている。(写真撮影日:2005年11月19日)

2006/02/02

掛川城

掛川は山内一豊・6万石の城下町、NHKの大河ドラマとして2006年初から放送開始という事で、城内のあちこちに地元の宣伝用の旗が立てられていた。小田原城の天守閣を見慣れた者にとっては、何かかわいらしい天守閣との印象を受けた。(写真撮影日:2005年10月22日)

2006/02/01

小夜の中山

大井川鉄道の始発駅のJR金谷駅の改札を出るとすぐ裏山が中山峠に続く道になる。小箱根と言われる急な石畳の坂道を登るとそこは茶畑が一面に広がる。茶畑のなかを細い道が延々と続く。100m毎に小休止を取るような急坂で、息が切れる。小雨降る天候で下界が霧にかすみよく見えないが、案内書などには茶畑の中に富士の雄姿が望める由。坂を上りきったところに、写真の夜泣き石のある久遠寺がある。伝説では、峠を越えようとした一人の妊婦が、山賊に切り殺されたがお腹の子供は無事助けれた、母の霊が乗り移った石とともに毎晩泣き続けたと言う。これを寺の住職が読経で霊を慰めたらしい。この小夜の中山から次の日坂の宿まで急な下りの坂が続く。(写真撮影日:2005年10月16日)

ページのトップへ

2006/01/31

大井川橋

暑い夏も終わり、良い季節の到来で再び歩き始める。大井川橋の手前の表示板には、川幅が1,030mとある。橋の上から眺めると、水量は上流の電源開発が進み、昔に比べると見る影もないという。しかしやはり長い、途中の中洲には、7-8mはあろうかと思われる木も散見される。この大井川の川霧のお陰で、周辺の丘陵地の茶畑で品質の良いお茶が獲れたという。現在は水量の低下でお茶の味も落ちたらしい。(写真撮影日:2005年10月8日)

2006/01/29

宇津ノ谷峠

宇津ノ谷峠に至る入り口付近には、2間程の道を挟んで昔ながらの家並みが続く。この峠道は、豊臣秀吉が小田原の北条攻めの際に新たに開いた道だそうだ。急な道を登ると視界が開け、写真で見るように通り過ぎた部落が眼下に見える。転げそうな急な山道を抜けると、岡部の宿へたんたんとした川沿いの道が続く。(写真撮影日:2005年6月18日)

とろろ汁の丁子屋(丸子の宿)

安部川を越え山遭いの道をしばらく行くと、丸子の宿にある昔ながらの藁葺き屋根の古い作りのとろろ汁・丁子屋に辿りつく。お櫃にたっぷり入った麦飯と自然薯を摺ったとろろ汁がここの名物で、麦飯にたっぷりととろろ汁をかけ、かきこむとこれまた素朴な味で何杯でもお代わりが出来てしまう。

ページのトップへ

元祖安倍川餅

駿府(静岡)を出てしばらく西に下ると、安倍川に出るが、この橋の袂に200年続いている「元祖安倍川餅」の石部屋がある。早速中に入ると昔ながらの店構えで、土間に赤い毛氈を敷いた座席があり、金太郎さんに似た当主が注文に応じまだ出来立ての生暖かい安倍川餅を出してくれる。この餅を頬張ると、素朴で淡白な甘さが口いっぱいに広がる。安倍川餅には、写真でみるこの漉し餡と黄な粉餅の他に、酒の肴になるからみ餅もある。

駿府城(府中の宿)

駿府城は徳川家康のゆかりの地である。幼年時代今川義元の人質として過ごした場所、壮年時代の拡張期の頃の居城、征夷大将軍を退いた後死ぬまで大御所として過ごした場所でもある。駿府城は現在建物は隅櫓程度が残されているだけで、目だったものはなく、公園として整備されている。場内のあちこちには、家康の銅像や祈念碑等が散見される。