2006/01/26

箱根雲助徳利の墓

山中城址の近くに雲助徳利の墓がある。写真のプレートにはその謂れが刻まれているが、それによると元西国大名の剣術指南であった九四郎なる人物が酒がもとで事件を起こし、国外追放となりここ箱根へ流れ着いた。剣術の腕前に優れ、読み書きができるのでいつのまにか雲助仲間に親分として慕われる事になったが、酒が原因で命を縮め亡くなった。後年、雲助仲間が墓に徳利と杯を刻み霊を慰めたとある。山中城は、小田原城の西を守る砦であり、山城のため珍しい水のない障子掘りの跡などが残されている。この砦も秀吉の小田原攻めの際に攻略され、打ち壊されている。山中城址付近から三島までは、長い長いだらだら坂が続く。

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